葬式のときに亡くなった人を撮る人が増えているという。それは別に人の気持ちが荒廃している結果の現れじゃなくて、カメラつきケータイを持っている人が増えたってことじゃないのだろうか。
お葬式:カメラ付き携帯で最期の顔パチリ 困惑派・理解派-今日の話題:MSN毎日インタラクティブより
自分は葬儀のときに、亡くなった祖母の写真を撮ったことがある。けれど、この記事には不快感を感じた。いっけんそのような人たちへも一定の理解をしめしているようにみえるが、実際には非難しているだけだ。
なにより「理解派」とされるひとの意見がヘンなのだ。私は確かに過去に今回の記事にあるようなことをしたことがあるが、どちらかといえば記事中で「困惑派」と呼ばれるひとの考えのほうが理解しやすい。
だいたいにして、冒頭から
お葬式の際、亡くなった人の顔をカメラ付き携帯電話などで撮影する人が増えている。葬儀関係者には「人の死を悼む気持ちが荒廃している」と感じる人がいる一方で、「時代とともに葬儀も変わる」と受け入れる人もいる。あなたは、最期の顔を撮影されたいですか?
などと書かれて、たとえば「死んだ後の事はどうでもよい」なんて答えたとしたら、そりゃあんまりだってことになるのは目に見えている。婉曲な脅迫だ。
正直なところ、わたしがなぜそのときに祖母を撮ろうと考えたのかはよく覚えていない。ただ、安らかな顔がとても美しかったので、思わず手にあったカメラで撮影したのだと思う。今度、身近なひとの葬式があったときに、やはり写真を撮るかどうかはわからない。
「増えている」のは事実なのだろう。だが、その理由はそれぞれ個人的なものなのだと思う。
「葬儀に対する考え方も時代とともに変化してきた。臓器移植が一般化し、遺体が神聖不可侵なものとの考えが薄くなったのでは」
とか
「対象を撮影し、他者とともに確認しなければ“リアリティー”が感じられなくなっている。葬儀も焼香だけでは満足できず、故人との確かなつながりを持ちたいとの思いから撮影するのだろう」
などという分析は意味不明だし無意味だ。「最近はおかしなのが増えているが、社会がおかしくなっているのだ」という程度の、紋切り型の考え方を押し付けるものにしかなっていない。確かにそいう面もあるのだろう。だが、それぞれの意見があれば良いのであって、自分の考えを押し付けられるのは我慢ならない。
何より、「葬式で故人の写真を撮ったことがあるひと」のインタビューなり意見がひとつもないのが、この記事の偏りを端的にあらわしている。
あえて今回のことをを分析するとすれば、携帯電話が普及して、いまどきの携帯電話にはほとんどカメラがついているということを示しているのだと思う。常に持ち歩くカメラでは、メモとして写真を撮るという行為はひんぱんにあると思う。デジタルカメラになって、フィルムを買ったり現像したりが必要ない。また携帯電話に標準的にカメラが搭載されている。あえて法人向けなどとしてカメラなしがアピールポイントになっている機種が登場するくらいの普及率だ。写真を撮るという行為に対しての抵抗感が急激に下がっているのだ。そういうなかで、いままではモラルやマナー以前に、わざわざカメラを持ち込むという人が少なかったのだろう。
もしも、「血縁でも知り合いでもないひとの葬儀写真を撮る人が増えている」、のだったらと社会の病理かアヤシイ教義(同じか?)だろうけれど、今回の内容では「死生観」の大きな変化は読み取れないのではないかと思う次第。