ジブリの次回作がアーシュラ・K・ル=グウィン原作「ゲド戦記」であるということは、少し前から噂では聞いていたが、実際に製作が発表されてみると、聞きなれない名前が監督としてあがっていた。今回の監督宮崎吾朗は宮崎駿の長男である。早速一部では「アニメ界も世襲か?」などという飛躍したコメントが出ていたけれども、確かになぜアニメ経験のない宮崎吾朗氏なのか、というのは素朴な疑問として出るのが普通だろう。詳しい人ならば、ジブリ美術館の館長を勤めた人物として認識しているかもしれない。
いきさつについては、「ゲド戦記」監督日誌の – 前口上 父は反対だったや、世界一早い「ゲド戦記」インタビューあたりを読むとおおよそは伝わってくる。宮崎駿が以前から「ゲド戦記」に特別の思いいれがあるという話は何度も本人のインタビュー記事などで読んでいる。手元にあるものを見てみたら、雑誌「COmic Box」(ふゅーじょんぷろだくと)の1983年2・3月号の特集「宮崎駿『風の谷のナウシカ』2」の中で「『ゲド戦記』には悪役っていませんから、そういう意味で面白かったです。」と述べており、「出発点―1979~1996」(徳間書店、1996年)でも、夢枕獏との対談の中で「ぼくは、ル=グウィンの「ゲド戦記」が好きなんだけど、あれはものすごく世界がしっかり作ってあるので、たいした描写じゃなくても、風景が見えてきますね。」という具合にちょっとした中でも言及されている。ジブリで「ゲド戦記」がつくられるということで、宮崎駿の長年の夢が叶った結果なのかと、漠然と思っていたのだけど、どうやらそう単純でもないらしい。確かに、20年前とはいろいろな意味で状況が変わっているのだろう。
宮崎吾朗氏とは同学年なので、なにか共感したい気持ちが働くらしい。面識こそはなかったが、同じ市内の高校に通っていたことを、人づてに知っていた。当時所属していた委員会(部活ではない)は何故か横のつながりがあって、他校の会報を読む機会があったのだが、その中に宮崎吾朗氏が描いた(と言われる)漫画があったと思う。内容はほとんど覚えていないが、ものすごく「達者だった」という記憶だけが残っている。前述の「監督日誌」は全くの宣伝用の文章なのは間違いないが、その人となりは、そういった個人的な記憶とつながってきて面白いものだと思う。もちろん来るべき作品の出来とは直接関係のないことなのだが、長年の宮崎駿ファン(と言いつつ、「ハウル」はまだ観ていないのだけど)なという視点からと、同世代がアニメ映画を初監督するという事件に興味が沸いたことがあり、製作過程を追っていきたいと思う。